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2006年6月30日 (金)

GTDの価値

Getting Things Done
やりとげろ
終わらせろ
終わったことにしてしまえ!

ひきずるな
それはそれこれはこれ
割り切り
切り替え
鮮明
峻別
整理

彼はこれだけをひとつのビジネスに変えたのだ。プラボー
誰もがわかってて、あたりまえのこと。を
人が望んでいるのはそうゆうこと。ちゅうことやね

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2006年6月29日 (木)

不幸の日々を

そっか、システム開発は戦争か。たしかに似ている。

莫大なお金が動いて、それが増えていく。ということは経済的価値はなんとかコストに見合っているということか。一方、その活動になんとも言えずやりきれない時間が投入されていく。不幸だ。みんなが知ってる。そのくせ、一向に糸口は見えてこない。不幸は何かの当然の帰結。なのか

回避策の視点として、仕様書、開発工程、人、組織...いくらでも書けそうやね。いくつかは僕にさえ思いつく。人間真面目だから。なんとか、どうにか。与えられた環境で。でもさ、その前に、取り囲む構造をもう一度もう少し明確にしておいた方がと。ここまでくれば、手段ではなく、環境の改善を!と。

たとえばひとつ
投下時間で行われる作業の効率が、なにげなく考えているよりはずっとずっと低いということ。システム開発の生産性は絶望的に低いのだ。町役場の課長さん一日のお仕事がチーズバーガー500個分の価値。いやそれ以上に感覚のギャップがあるだろう。ピリオドひとつにバーガー1000個だ。つまり、そんなの「簡単」と思い込んでる。そんなつまらん要求にかかるコストは一生かけてもペイなどできない。ってとこがわからない。とうてい理解などできない。このちっぽけな要求の満足が、それほど多くを失うとわ。それがわからないから、戦争になっても仕方ないと言ってしまうのだろう

わかってない奴がいるから悪いと言いたいんじゃない。仕事をもらおうとしてるその時に、僕の仕事は価値が低くて値段は高い。なーんて言ってくれる奴おらんもんね。ごまかされるのが当然。その市場でその契約してるうちは、それは当たり前。だと。。。でも。良い回避案まったくないんだよね^^;

ところで、戦争はやめると決めればやめられる。でもこいつは止める理由さえみつからない。そうゆう面ではより不幸は大きいかも。なんとかならんか>神さま

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2006年6月28日 (水)

憎めない

カラマーゾフには実にいろんなタイプの人間が登場する。世の中の人を分類けするとこうなる?のような。ところが、どの登場人物も酷いコンプレックスの塊で、まったく普通じゃない。普段、見慣れてる人とはずいぶん違って見える。しかも、なぜか憎めない。なぜやろ?

僕ら普段、あんなに素直な自分は見せない。見せないというか、自分自身でも気づいていない。何かに邪魔されて(いわゆる建前?に支配されて)嘘のない自分を自分自身が見失ってる。なあなあで済ませてる。そうゆうものだよね。あれは小説だから、普通の人なら普段隠して当たり前のことを、強調して登場人物に言わせるのだろう。

現実は物語のようにはいかない。いかないが、やっぱ自分には正直に。というか、偽りなく生きていきたい。建前ならほどほどに。てとこ。「建前」ちゅうのは、解決できていない矛盾をうやむやにしてちょっとかっこよく装飾してみた。みたいなもの。所詮かっこ悪い。というより、建前な人に見えてても、ほんとうはカラマーゾフなどろどろ抱えてて、その一面が少しでも見えるととたん憎めなくなる。だから、どろどろ見せて生きてきませう

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2006年6月26日 (月)

LifeHacks

とか言うと、ちとしんどく感じてしまうが>人生。
でも、実のところ「簡単に」「幸せに」してくれるものらしい。要するに、「今現在の自分に不要なさまざまな執着を取り除く」術。というところかな

整理するという視点では、OOも同じ。カプセル化。SOAで説明されている疎結合も似ているかな。執着を捨てるという面では、気功やTAOの実践にも似てる。幸せの方向というところで

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2006年6月24日 (土)

時間

Tanbo0606 ウィトンゲンシュタインは、世界とは言語で明晰に論理的な記述ができるものとしたそうな。で、論理的記述ができない問題を語ることはできないと。記述できることとできないことをはっきり区別。論理実証主義。

このような区別、今の僕等にはなじみが深い。区別は余計な問題から僕らを開放してくれる。幸せにしてくれる。オブジェクト指向、GTD...システム化で、現実はモデル化されて論理的に記述される。

Umi0606 しかしその後、ウィトンゲンシュタインはその区別を撤回したそうだ。論理的記述が可能な理想的な言語などない!みたいな。何かが変わったのだろう。とにかく、「価値」は主観的、相対的で、「事実」は客観的。と容易に区別などできないということらしい。

わかるよーな、わからんよーな

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2006年6月23日 (金)

境界

今日、一緒に開発をしているひとりと請求回収データのGUIについて話し合った。僕らは今、ある業種向けに特化した日常業務を支援するアプリケーションを開発している。このコンポーネントをユーザーに強くアピールするにはどうしたら良いか?つまり、よりわかりやすく、使いやすく、しかも機能要求を削らずに...

彼が言うには、この画面に、現金だとか、手形だとか僕らが金種と呼んでいるその情報を入力させる必要はないというのだ。そんなものは経理担当者が後から会計簿に転記するために用意した依頼であって、それを当たり前のようにして画面に盛り込むようなことは世間一般のパッケージに任せておけばよいのだと。なるほど

彼の頭の中には、ある境界がイメージされている。それは、一般にはサブシステム化と言われるような整理であるが、その手順を踏んで描かれたものではない。自分達の商品を際立たせるもの。特徴づけるもの。戦略イメージとしての閃きだろう。

最初、僕は彼の言おうとしていることが理解できなかった。役割分担の境界を明確にして、やりとりするメッセージを最小にしよう!などと彼に言い続けてきたのは僕の方だった。そう言っていた自分がその境界の存在を見落としていた。

彼は、「この案は却下されると思いますが...」と続けた。実際それを実現するにはシステムにレイアをひとつ追加して、すこし複雑になる仕組みを加えなければならない。そしてそのことが大多数のユーザーにはにわかには理解してもらえないだろうと。結局それは次期バージョンへの持ち越し事項となった。僕らふたりの内部ではとても重要なことであったが、それ故にそのアイデアにはもう少し時間を与えることにした。

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2006年6月22日 (木)

いただきますは

言わなくて良いんだよ。だって、給食費払っているんだも~ん。
って、ちょっとびっくり。信じられないっ!きっと、からかわれたんだよ。

つまりこうゆうこと
コンビニでお弁当買って、店員さんにちゃんと「ありがとう」って言ってる?売ってくれて「ありがとう」と?何が違う?そう問いかけられたのだ

大審問官さんのいいたいことがよくわかってくるよ。イワンの悲しみが伝わってくる。どうしたらいいんだろね?ぼくら

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2006年6月21日 (水)

なじんでいく

Microsoftさん次期OSのAPIに正式名称が決められたそうで。いま使っているFrameworkがそのままAPIとなっていくのやね。前は、現APIについて、OOな開発者から責められていたMicrosoftさん内のOOへの反感の声もこぼれ聞いたが、とにかくなにより。

オブジェクト指向が産声をあげた当時、それは単なる新しい画期的なアイデアのひとつに過ぎなかっただろう。それがそのうち敢えて名前をつけて識別する必要もないあたりまえの存在になっていく。偉大だ。この発明、発見は偉業となるのだろう。

にははは;
またおかしな妄想をしている。以前この日記で、OOと時間軸の関係について思いを巡らせていた。そう変化を扱えるのだ。ITな世界に閉じ込めておくのはもったいないよね>OO。外の世界のメタファにならんか

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2006年6月20日 (火)

格差是正に意欲

是正したいということは、良くない格差が存在すると認めることだよね?え~、簡単に折れちゃって良いのかなあ?いろいろつっこまれそ。

この格差、簡単に「年収差」とするなら、解消はその偏差を小さくしたいということ。取り過ぎている人と、取り損ねている人がいると認めることになる。何を基準にそれを判断するのだろう?その基準が見えたということか?それとも何も見えてないで、ただイメージアップで口を滑らせただけか。

ずっと以前務めていた会社で、「男女なんとか均等法」施行に合わせ、部署毎に部署内で現在の会社の問題点が話し合われた。女子社員から「どうして同じ仕事なのにこんなに賃金が違うのか?」と。そうだよね~。答えられないですその問題。理由がないから;それを問題として認めようなら、部長は自分の取り分を削って配分するしかなくなるよね。きれいごとでは済まない。

会社なら、それが「気に入らないなら公務員にでもなれ」と切り捨てられる。それを言って、会社が困ることになるなら、取りすぎてるところを削るしかない。自分の生活を削れるのか?そこが問題。そうゆうことを普遍的にできる人間はいない。言い出した本人、自分ひとり慈悲深くても十分ではない。行き過ぎた格差を生む構造は、これまで言われてきた「構造改革」の構造とは規模がまるきり違うやろ。根は一緒かな。

くどいが
「解消したい」というのは、構造の問題を認めること。問題と把握した構造を、皆にわかりやすく丁寧に説明してかかる。それをやってかかった方が皆の信頼、協力が得られやすいと思うな。どこが取り過ぎていると思う?

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2006年6月19日 (月)

多重人格だったのだ

お勧めに従って、カラマーゾフの兄弟を読み始めた。読み進むのに時間がかかる。1ページめくるごとに瞼が閉じて^^; ずいぶん読書から遠ざかっていた。読んでも疲れが増すだけ、生活の糧にはなってくれない。どんなにすばらしい事が書かれていても、猫に小判。なすに本。と、はき捨てていたのに、よりによってこんなに難しい小説。。。でも良かったかも。

いくぶん自意識過剰やろっ!と思う登場人物達の言葉いずれにも自分の中の言葉を感じる。まったく奇妙で普通でない変わった人達、なのにどの人物とも自分が重なる。ほ~~意外、ほんとはこんな奴だったんだ。いろんな人格の複合体。

神とは?人間とは?とか考えても、お腹ふくらまない。でも、周りの人の欲望を満たして稼ぎを得る。みんな本当は何を求めているのか?わかっていた方が良い。僕がそうであるように、僕を雇ってくれる人達も同じように多重人格。どうしようもなく人間。ゆえに神を知りたい。普通ならそんなこと、稼ぎにならない!というとこだけど、そこをなんとかつなげたい。と思い始めている

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2006年6月16日 (金)

イメージを描く

ITなシステム構築の出発は、経営戦略となっている。そこがゆるければ、わけのわからないものができあがる。というのは直ぐに理解できる。とういことで、早速作ってみる。あるいはコンサルタントに要求する。で、イメージできるだろうか?>その後の様子を。具体的にみんなが仕事している様子を。

ポストモダンとかいう人は流石に違う。こんなたのしそうな事考えてるのやね。「経営戦略」とか言っちゃうとさ、僕等なんかだと簡単にズレてしまうような気がする。ただ、目標ばかり並べて。当然考えられるべき人間の悲しい習性とかすっかり落ちちゃう。必要なのは具体的なイメージができる未来図。数字を並べるだけじゃあ無理だろね。経営戦略のご立案も、エンターテイメントで是非どうぞ

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2006年6月14日 (水)

週刊新潮

先週、社長が出張から帰ってきてから、会社の休憩所のテーブルの上に週刊誌が置いてある。パラパラしてみた。けっこうはっきりした傾向が感じられる。社長は朝日じゃなくて新潮派。どちらかと言えば寛容な性格、けっして押しは強くない。いい加減だし^^; なのに、この問題には少し意見がある模様。それが意外というか、そこに傾かせるものはなんだろ?と

僕は「見栄講座」世代、右も左も強い口調を見ると苦しくなる。こうゆう態度自体、ある人には癇に障るだろう。その感情を感じ取ると余計に態度を助長する。そして、だんだんと溝が生まれる。いえ、だからといって溝を埋めようなどと思ってもいない。ただ、どっちつかずなのだと言い切るなら、根拠もはっきりさせておこう!とでも思ったのか、「国家」についてを読んでみる。

奥深いね。ちゅうか、頭がついていかない。わかってること。僕が暮らしているこの地方、この国であってこの国の大多数の外。完全に一体になれない。愛せといわれると...正直、しらける。でもね、村の行事には皆勤だし。ニッポンが勝てばうれいしいし、負ければくやしい。そんなもんだよね。ニッポンが負けた翌日、同じアジアの韓国を応援した?

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2006年6月10日 (土)

どっこい生きてた

Esakure かつて、僕がまだ小学、中学のころ、かなり強い農薬を使っていた。学校へいく前、帰ってきてから、よく散布のホースの端を持たされた。一斉防除なので、そこら一面農薬の霧で覆われて息苦しくなる。親父はマスクもせずに動噴を担いでいたからそりゃあしこたま吸い込んだだろう。

でも、どっこい。今、75だから、おそらく先祖代々一番長生き。つばめ達もよくあの時代を乗り切ったものさ。

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2006年6月 9日 (金)

誤解してたかも

ところで、引用した佐伯さんの言葉では、「欲望」は避けられていない。欲望が奴隷になったとは書いてあるが、欲望の奴隷になったとは書かれていない。ここは言葉の綾というか微妙な感じだが、それ故に僕らは普段重要なことを曖昧にしたまま生きてるような気がしてきた。「欲望」それ自体を諸悪の根源としている。しかもそれはなくすことができないと。そうして、人はとても身近なところに、絶対に解決しようのない矛盾を抱え込んだまま生きている。そのままにして、あーだこーだ言っている。

改めて本棚の本をひっくりかえしてみたところ、ブッダも欲望それ自体が悪いものだと言っているわけではないと書かれていた。そこから生まれる因果に苦しめられるのだと。う~む、わかるよーなわからないよーな。

たとえばこんな風に考えることができるのかも。重力によって地上に蓄えられた空気の中で僕等は暮らしている。空間次元の中では重力により生きる世界が作られている。同じように時間軸にもその場に働く重力のようなものがある。佐伯さんや、ブッダは、時間軸に働くその重力のようなものとして「欲望」を捉えている。良いとか悪いというものではなく、そこにあるもの、その場の中で生きられる。空間軸にある空気層のようなものが時間軸にもあり、それをブッダは「空」と言った。大気を汚せば身体に異変が起こるように、「空」を汚せば精神に異変が生まれる。

佐伯さんが言っているのは、産業革命で一旦はスモッグに覆われた空から太陽を取り戻す努力を始めたように、同じように「空」に漂いはじめた霧を晴らすチャンスがやってきているのだということだろう。

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2006年6月 8日 (木)

出口

さてさて次の出口はどこじゃらほい! 「欲望」と資本主義にはこう結ばれている。

だが、その限界地点で、ようやく、欲望を産業主義のフロンティアの奴隷にすることから開放されようとしているのではないだろうか。欲望を文化的なイマジネーションの世界へ取り戻すことができるようになってきたのではないだろうかと思う。

「近代」という時代で、人間の欲望は産業資本主義の奴隷となった。が、その拡張の限界がきて、欲望を処理しきれなくなりつつある。人間の欲望が新しい時代へ脱出するチャンスがやってきた。そうゆうことかな??

「近代」のどんづまり。ということなら、手がかりとしてはやはりポストモダンか。検索してみる。「地球智場の時代へ」がひっかかる。タイトルがそそられる。でも、ふえーーん、難しすぎてなんじゃらわからーん。

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2006年6月 3日 (土)

いい時代

村の寄り合いで飲んだりすると昔話に花が咲く。スイカを盗って川に投げ、海で拾って割った夏休み。途中で通る隣村のガキ共との喧嘩。鶏の闇鍋や、砂利道でバイクで転んだ話... 昔は楽しかったねと。でも、戻れと言われても戻れないやろねと。最後はいつもそうまとまって、そしてみんな静かになり、お開きとなる。

僕達のご先祖、代々、傍目には村の社で五穀豊穣を祈願しつつ、帰って薄暗い土間に座り黙って縄を結いながらほんとうは何を願っていたのだろう?それを知っているから、たとえ田を手放さなくならなくなったとしても、誰ももう昔に戻ろう!とは言い出さない。ご先祖へ感謝を込めて。今がどんな時代だろうと僕等には過去のいつよりも良い時代。

会社を辞めたとき、ひとつ壁を壊して外にでた気持ちでいた。自由になったと感じていた。なのに、何度も元の会社に戻る夢をみた。馴染みのある微笑みで僕を迎え入れてくれる。新しい仕事の指示をもらいその仕事に没頭しはじめると、なんとも言えない安心感に包まれて眠りについた。そして、目が覚めればいつもと同じ朝。

時代は変えるものなのか、変わっていくものなのかよくわからない。今この時代を乗り越えてもそこにまた新たな時代がやってくる。その新しい時代に何を望んでいるのかさえぼんやりしている。よしんば、もし次の時代を生きることができたとしてそこで自分は今より幸せに満ちてるだろうか。たぶん同じように、つかめそうでつかめない何かを探し続けるのだろう。どんな時代も振り返れば良い時代。今、目の前に見える(自分勝手に見てしまっている)壁の出口を探し続けていくしかなかんべ。それを自由と呼ぼう。

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2006年6月 1日 (木)

時代

「あなたとなら時代を変えられると信じていた」
くーーっ!くるねえ~。もう、そんなに誰かを慕うこともないと思うと少し寂しい。

時代を変えたいなどという野望の微塵もなかった。それでも生きていたのかなと思える時代はあった。見栄講座をバイブルとし、ひたすらミーハーを追求してたバブル前夜祭。ハックルベリーに集まって、お金も持たず夜に繰り出して。麗しのハックルベリーフィン'S、みんな立派なおやじになったことだろう。

時代といえば「バブル」、誰もが懐かしむあの時代。卒業して家に戻った僕はといえば、なんとなく蚊帳の外。それでもあおりをかって、ビジネス書なんか読まされた。エクセレントカンパニー; 結局どこがエクセレントだったのか?そこが唯一バブルぽい。当時の部長、朝礼では盛んに僕らに危機をあおっておいて、宴会になると「僕なんかこの名刺で銀座にツケが利くんだぜ~」と自慢がシラケる奴で。三田のシャトルの窓際がお似合いよん。

まあ、彼のお陰であの偽善の箱から飛び出せた。自信満々で飛び出した娑婆だったが、多聞にもれず甘かった。でも、居心地の良い檻の中では気付かなかったことも見ることができたのだろう。ひとまず感謝。そのうちバブルもはじけて...ん?崩壊したとみんな言うけれど、何が変わった?変わったのかなあ??依然、大きな泡の中。そんな感じがしないでない。

時代を変えるとのぼせることなどもうできない。でもさ、線香花火のようにさ。落ちるその瞬間、もう一度パチパチっとな^^;

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